潰瘍性大腸炎→大腸全摘出したanokaのブログ

難病や日々の事を書いてます。よろしくお願いします。

私の「遥かなる我が家」

こんにちは、anokaです。

 

 

また、過去を振り返ります。

更に重たくなってます。

なので、悲しい話とか苦手な方はバックでお願いします。

題名はドラマ:「アンナチュラル」8話からですが感想文とかじゃないので、ご注意ください。

 

 

では、いきます。

 

 

anokaの父は医師、母は看護師と医療一家で育ちました。

 

後に長女は医師になり、次女は社会福祉士、三女は弁護士秘書。anokaも病気になるまでは歯科助手として働いてましたから

 

だいたい、医療に携わる仕事をみんな選びました。

(三女は違いますが、やっぱりおかたい仕事)

 

何不自由ない、生活を送っていた…

 

ように見えたでしょう。

知ってる人には「お父さんも、お母さんもすごいね~」

と言われることも少なくなかったです。

 

だけど、中身は世間の言うような「立派な家族」とは程遠い家族でした。

 

 

 

anokaが幼い頃から(小学5年生には)

父が浮気をしてたのは知っていたし、母への精神的、経済的DVも分かってました。(モラハラとも言うのかもしれません。)

何度、父と母が口論し4人姉妹で隠れてみてたことか

最終的に父が勝ち、謝る母を何度見たことか…。一番下の私でさえこんなに覚えているのですから姉たちはもっと見ていたでしょう…。

 

当然、母も4人の子供も居たら精神的に参ります。

(私が中学に上がるまでは専業主婦)

結果、子供に当たるのです。

 

あの時は自分が悪いことをしたからと信じて疑わなかった、躾という【暴力】です。

 

手で殴るのはもちろん、母は「手が痛い」と言ってハンガーや棒みたいなもので殴るのは当たり前だったし(何だったかは忘れた)

家から追い出す。食事を作らない。(父は仕事でほとんど家に居なかった。父が土日で帰って来て良いことと言えば、食事が約束されることでした。ケンカという恐怖はありましたが。どちらにしろ辛い記憶には変わりありません。)

 

 

それを【虐待】と言うんだよ…。

 

とカウンセリングの先生に言われたときの衝撃と悲しみは今でも忘れられません。

 

 

***少し話がそれますが***

 

病気が発覚して、1年くらいした時、

しばらく心も体も休めろ。と言われ、次女夫妻の家に居たときがあったのです。(その時、次女夫妻はマンションに居た。父の友人のマンションでかなり安い家賃で住んでいたみたい。)

 

次女はanokaをひどい言葉で罵ったり、実家を追い出した強烈なイメージがありますが、子供が出来るまではヒステリックにならず難病に理解がありました。なので次女夫妻には2年近くお世話になってるのです…。

そのおかげで、しっかりカウンセリングを受けることが出来ました。私が24~26歳のころです。

 

 

多分、私達姉妹は幼少期にたくさん悲しい体験したので、次女は子供ができてからというもの、

 

自分の子供には辛い想いをさせたくない!と強い心を持っているためか、かなり完璧主義になってる感じがありました…

 

そう思うと

次女の気持ちも

 

今、

 

冷静に考えれば…納得…

 

はやっぱり出来ませんが、ひとつの心の落とし所として見ることはできます。

ただ姉たちについては

 

ひとつ大事な事実として

 

Twitterではかなり酷いことを言われた!と私の気持ちが先走って悪い印象もあるかもしれませんが

 

こうしてたくさん救ってくれた2年間もある。

ということです。

 

私は結果的には難病をこじらせてしまいましたが…

 

 

本当は親がやるべき救済を、親と機能してなかったため、(確か離婚裁判中。)

 

 

次女の旦那さんも血の繋がりはないのに、快く受け入れ、2年間も助けてくれた…。

 

今は疎遠になったけれどいつか…

 

なにか一つでも恩返しがしたいです。

 

 

次女はあのヒステリックの暴言で相殺というとこで。笑

 

 

まあ、会話できるくらい修復したら何かしたいかな?

 

 

もちろん長女、三女、その旦那さんにもたくさん助けたもらったので恩返しがしたい気持ちはあります。

 

 

 

***話を戻して***

 

そのカウンセリングにも2年は通いました。

 

間が空いた時もありましたがカウンセリングを2年かかって母が幼い私にしたことをようやく、理解できたのです。

 

それまではずっと全ては父親のせいで、父親を悪者に話していました。(いや、父にも暴力を受けた記憶もあるので、母はそれを守ってくれた存在と思いたかったのかな…)

 

親子関係って怖いですね…。

特に小さい頃は親が全てなのですから

 

素晴らしいものにもなるし

恐ろしいものにもなる…。

 

でも私も一人の人間として生きていくために

いつまでも親のせいにしたり、縛られる人生で居たくはありません。

 

 

変えられないものと、変えられるものを見定めて、生きていきたい…

そのために、もうちょっと、振り返ります。

 

 

 

えー。ややこしいですが

 

 

父親はまず浮気と母への暴言。

 

→浮気の発覚の経緯は 次女、三女、私(小学2年生だったことは覚えている。)とパソコンで遊んでいてとんでもない内容のメールを見たから。

 

子供ながらに黙っていようと決めた私達3人。

(子供でも大人をよく見てると言いますが、よく気持ちが分かります。そして心が痛みます。)

そして私が小学5年生のころ母が浮気の感づいた発言をしたことに、私達は暴露。

母は確信にかわり、父に問い詰めたそうですが、何故か話は「母がダメだから、俺は浮気した。俺は悪くない、お前が謝れ」と

母が土下座をさせられるという訳のわからない状態に。

 

母は浮気が分かる前は父と口論し、苛立ちを子供たちにぶつける(躾という、必要以上の暴力)ご飯を作ってくれないなど。

 

浮気発覚後は精神的に参り、寝込むように…

家事などを姉妹でやったりしました。

 

 

そしてこの頃、anokaにとってとても辛い思い出が…

 

 

体調を崩し(小学5年)、嘔吐と熱に悩まされましたが2週間放置されました。母に訴えても

精神的にまいっていて、ヒステリックになっていたので「邪魔だから学校行け!」と言われ相手にしてもらえませんでした。

なんとか、ごまかしながら泣きながら学校に行ってました。どうやって乗り越えたかは覚えてません。ただめちゃくちゃ痩せました。(バスケはすでに習ってたので、太ってもなかったはず)

 

学校から連絡がいったのか分かりませんが、突然優しくなり、「病院に行くわよ」と、(父の病院でしたが…)

検査の結果、お腹のリンパ腺が腫れてる…みたいなことを話してたことしか覚えてません。

 

薬を飲んでいたら治りました。

 

 

この記憶はかなり悲しい記憶として強烈に残っています。2週間の間、無理に学校に行っては吐き、保健室に行かされ家に電話しても連絡がつかず、私が鍵を持っていたし、5年生なので一人で帰り

寝込む母に救いを求めましたが

「なんで帰ってきたの!?早く学校にもどりなさいっ!」と怒られたのを覚えています。

戻れるわけもなく、体調も悪いなか屋根裏部屋に隠れて泣いたのを今でも鮮明に覚えています。

 

 

えー……。ちょっと文章がごちゃごちゃしましたが

小学生まではこんな感じです。

 

 

 

anokaはこの小5の終わりからバスケットを通じて、生涯忘れることはない大切な友達に出会います。

 

 

敵チームだったし、中学も違うので短い期間だったけど

 

 

とても優しく、私のバスケを褒めてくれて、存在を認めてくれた存在です。

 

こんな暖かい場所が、人がいるんだ。。。

と思わせてくれた…。

 

だからanokaは大人になった今もバスケが大好きなのかもしれません。

 

 

はい!

 

その後も色々ありましたが、私は今もこうして生きています。

先ほどカウンセリングの先生が来てくれて

 

「anokaさんの人生を生きていこう。QOLを上げていこう!」と話して元気を頂きました。

 

一歩ずつでもいい。

振り返って悲しんでもいい。

 

だけど変えられないものに捕らわれない。

 

自分が変えられる未来の人生を見つめて行こうと思います(*^^*)

 

 

 

長くなりましたが

ここまで読んでくださって、本当にありがとございました!!

 

次回からは明るい話をしたいな~と、思います(笑)

 

 

anoka☆★☆

 

 

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参考までに…。